Dialogue
くりやの対話

2023/11/27

「一服」することで美意識と向き合う

松林豊斎さん×栗岡大介(後編)

宇治の茶陶「朝日焼」の当代窯元、松林豊斎さん。後編では松林さんの茶盌を手に「一服」しながら対話を深めていきます。栗岡が日頃から優しい兄貴と慕う松林さん。今の事業に悩む栗岡へ、今回もある一言から未来に向けて大きな示唆をいただきました。

朝日焼ウェブサイト https://asahiyaki.com

前編は こちら

松林豊斎(まつばやし ほうさい)さん

朝日焼十六世窯元。1980年、朝日焼十五世松林豊斎の長男として生まれる。2003年同志社大学法学部を卒業後、日本通運(株)に就職。2004年の退職後、京都府立陶工訓練校にてロクロを学び、父豊斎のもとで修行。英国セントアイブスのリーチ窯での作陶などを経て、2016年、十六世豊斎を襲名。「綺麗さび」という美意識をもとに作家として活動、京都の若手伝統工芸職人グループ「GO ON」では伝統工芸のさらなる可能性を探るなど既存の枠組みにとらわれない取り組みを国内外で行っている。

茶盌という生き物

松林豊斎さん:栗岡さんにはこれまでいくつか僕の茶盌を持っていただいていて、実際にさまざまな場でお茶を飲んでくださっていますよね。一度作家として聞いてみたかったのですが、僕の作品を「使う」ということに、どんな意味を感じていらっしゃいますか?

栗岡大介:この茶盌を手にすると、やっぱり松林さんの顔が浮かびます。というのも、僕からするとこの茶盌は松林さんの「子ども」みたいな感じがするんですね。松林さんへは以前お伝えさせていただきましたが、初めて窯を見たとき、直感的に「新たな命を宿す場所」と感じました。おじいさんが掘ってくれた土が、松林さんの手で形づくられて、代々受け継がれてきた窯で焼かれて…。できるだけ自然の土の個性を損なわず、一方で松林さんの個性を表現しようとする葛藤の中で、とんでもなく低い確率で「作品」が産まれる。そうやって誕生した茶盌だから、僕にはやっぱり「モノ」というよりどちらかというと「生き物」に感じられているんです。

松林:実はアフリカでは、作陶する方を「助産婦」と呼ぶ地域もあるそうですよ、栗岡さんらしい感性、納得です。

栗岡:茶盌は動かないし言葉も発しませんが、「生き物」のように愛でると、この茶盌はきっと何かを伝えようとしてくれている。僕は生き物とのコミュニケーションを楽しんでいるという感じでしょうか。今まで機能してこなかった体のセンサーが開発されていくような感覚です。これまで、そういう発想でモノに触れたことがなかったので、とても新鮮な体験でした。

松林:現代人は「手で触る」という行為をどんどんしなくなってしまいました。だからこそ触った時に自分が心地よいと感じるセンサーを磨いていくこと、それはよりよく生きるということにつながると思っています。身の回りに置いて使いたいと思ってもらえる茶盌、というのは僕が作品をつくる上で大切にしていることです。

「一服」の効用

栗岡:最初に松林さんから茶盌を譲っていただいた時、「ちょっとでもいいからお茶飲む時間を取るようにしてみてください」って言ってくださったじゃないですか。あれからなるべく時間をつくって自分でもお茶を点てていただくようになりました。

松林:「お茶を飲むこと」って、体験として見事に完成されているんですよね。もちろん茶室の中でお点前をしていただくというのが一番インパクトがあると思いますが、実は単純に茶盌にお茶を入れて飲むという行為だけでもいろいろ感じることができます。

まず手のひらの中で抱きかかえた茶盌を口元に運ぶと、湯気が自分の顔にかかります。鼻ではお茶の香りを感じて、口の中でお茶の味わいます。その時には、茶盌で視界が遮られて…。お茶を飲む瞬間ってお茶の情報について五感を使って身体全体で受け取ることになる。その一連の動作の中では、頭で思考するのではなく、身体で感じざるを得ません。

そうこうしているうちに、不思議と今度は逆にいろんな思考が巡ってくるんです。「自分にとって大切なことってなんだろう」と考えたり、あるいは突然親の顔が思い浮かんで「どうしてるかな」と思ったり。

栗岡:はい、自分でやってみて、すごくわかります。五感をフル活用することによって、結果的に自分自身を俯瞰的に見ることができるようになる。そこから自分と社会のつながりも浮かび上がってくるような気がします。それは、現代の僕たちが多忙を理由に一番目を背けがちな部分かもしれません。

松林:そうですね。スピードの速い社会の中で、僕たちは仕事にしても深く思考するというよりは反射的に回していくようになりました。考える時間を確保するのが難しいなら「考えなくてもいいんだけど、なんとなく考えてしまう」みたいな時間が実は貴重なんじゃないか、と。お茶を飲む時間って、それに当たるんだろうなと思うんです。

栗岡:お茶をいただくことを「一服」と言いますが、まさに薬を服用するような効果がありますよね。一人の時間のみならず、今日のようにお茶をいただきながらの対話は、より深く、本質的なところの気づきをもらえる気がしています。

目が覚めた言葉

栗岡:それで実は今日、松林さんにあらためて感謝したいなと思っていて。

先日、僕はすごく手痛い失敗をしました。ある伝統工芸を手がける企業の事業承継M&A案件で、自信満々、絶対に通るという気持ちでプレゼンに臨んだんですが、見事にフラれてしまったんですね…。先方オーナーが選んだのは別の候補者で、その方は「その土地に移住して頑張る」と強い熱意を示していたそうです。

この失敗がかなりショックでしばらくモヤモヤしていたんですが、たまたま松林さんとお食事する機会があって。そこでかけていただいた言葉で、パーンと目が覚めたんですよ。「栗岡さん、美意識を鍛えましょう」って。

松林:わ、なんだか上からな感じですみません、嫌やなぁ…(笑)。

栗岡:いえいえ、本当にありがたかったんです。「美意識」というキーワードは僕に足りていなかったものをズバリと言い当ててくださっていました。

先ほどの失敗した案件、僕が提案したのはものすごく経済合理性に偏ったプランだったんですね(下図:プレゼン資料の一部)。僕は知らないうちに業績やバランスシート、設備の有無、そしてそこから生まれる収益だけに気を取られていました。でも、何代も時代を越えてモノづくりをされてきた方々は、お金という物差しで測れるものなんて本当にごく一部で、お金じゃないものが大半であるということを深く理解していらっしゃるんです。自分が恥ずかしくなりました。

松林:もちろん栗岡さん自身も経済合理性だけではないところに魅力を感じていらっしゃってチャレンジされていたと思います。ただ、そうであっても実際のプレゼンの時に経済合理性のほうばかりが中心になる提案を導き出してしまうというところは、「面白い」というと大変失礼なんですけど…なんだか逆に人間的だなと思います。人間が陥ってしまう一つの性(さが)というか。やっぱり少し不安というか焦りみたいなものを抱えられているように感じたんですよね。

栗岡:はい、未来への不安から焦ってしまったんだと思います。これは僕の悪い癖ですね。

松林:栗岡さんの不安や焦りがどこから来たのかと僕なりに想像してみて、やれることの幅が広すぎることによって「何をやるべきか、やりたいのか」ということに確信が持てないのかな、などと想像したんです。フラットに物事を見られるからこそ、すごく客観的な視点が持てる。でも一方で、客観的な視点だけでは「確信」を持つことが難しいのかもしれません。

特に日本の伝統産業では、血縁や感情みたいなものにとらわれすぎて事業が継続できないケースが多いのは事実です。だから客観的に判断することは本当に大事なことなのですが、既にそれは栗岡さんの得意なことかと思います。でも、その事業を他の誰かでなく、栗岡さんがやる意味と価値があるかは、主観的に判断しないといけない。そこにも少し意識が向けられたら、かなり大きなことを成し遂げられる気がして。

…と、偉そうに言って本当に申し訳ないと思いつつ、あの時は僕なりの言葉で「美意識」と表現したんだと思います。僕は栗岡さんとは対極的で、わかりやすく家業がありましたから、覚悟みたいなものが持ちやすかったところがあります。たまたま、自分にないものをめちゃくちゃ持っている栗岡さんに自分が何か言えるとしたら、その部分かなあ、と。

栗岡:ご指摘いただいたこと、まさにその通りだったと思います。

あの言葉をきっかけに、「美意識」とは「覚悟を決めること」なんだ、と自分の中で妙に強く腹落ちしました。すると事業承継や事業伴走を検討する上での自分の考え方にとても大きな変化が生じてきたんです。

こんな感じでリフレーミングしてみています(下図)。

これまでの僕は目に見える部分での状況にフォーカスし、そこをクリアできるものだけを投資対象と考えていました。でも、僕の美意識、すなわち覚悟を基準に考えていったら、それよりも大切なことが見えてきたんです。

創造性、革新性さえあればバランスシート上の問題も飲み込む決断だってありえます、生産設備などの有形資産よりも、起業家精神や本来のクラフトマンシップの追求、すなわち無形資産のほうが重要ではないか、と。これが僕だからこそできる、リスクの引き受け方なんだ、と覚悟が決まりました。

ホールディングスはエコシステム

松林:覚悟というのは可能性とトレードオフの部分もあるので、必ずしも頑固に覚悟を持てばよいというものでもないんですよね。ある程度のフレキシブルさを持った覚悟が必要で、そのフレキシブルな覚悟をもって、客観的な視点だけでなく主観的に判断していくことが、栗岡さんの決断の精度をますます上げていきそうな気がします。

栗岡:はい、可能性を狭めず、フレキシブルさも維持しなくてはいけない。だからこそポートフォリオ的な発想が大切だということにも気づきました。

最近、社名を「くりや株式会社」から「くりやホールディングス株式会社」に変更したんですね。いわゆるホールディングスカンパニーというのは、一般的には経済合理性を優先させた傘下企業を「管理する」ための企業という概念ですし、自分自身も以前はそのように考えていました。

でも、ここにも捉え方の変容が起きてきたんです。そうか、僕が目指したいのは「エコシステム」なんだ、と。くりやホールディングスは言ってみれば一つの大きな「箱」であって、その中で多様な魅力を持った事業が「生き物」のように相互補完的に存在しているイメージです。

松林:おお、栗岡さんの中でどんどん考え方が進化しているんですね。

栗岡:くりやホールディングスで目指すべきことは「管理する」ことではなく、自然の摂理に「委ねる」ことに大きく変わりました(下図)。「Doing」から「Being」への変化と言えるかもしれません。僕自身も常にこうした対話や越境を楽しむ存在であり続ければいい。

松林:面白いですね。とても栗岡さんらしいスタイルだと思います。「委ねる」という感覚は、焼き物をやる僕だからか、すごく共感できます。10個焼いて1個成功したらOKという世界なので。全部成功することなんてないことをある程度受け入れた上で、自分のベストを尽くしていく。そうすると思いがけずいいものができてきたりするんですね。

栗岡:はい、なんだか肩の力が抜けました。本来あるべき自分へのチューニングがなされた感じです。先ほども話したように、まさにこれがウェルビーイングとつながるお茶の効用ではないでしょうか。すぐに何かが大きく変わるわけではないかもしれませんが、緩やかでも確実に行動変容が起きるだろうと思っています。

今日も松林さんと対話しながら「一服」させていただきました。本当にありがとうございました!

松林:こちらこそ。これからの栗岡さんのチャレンジもますます楽しみにしています!

Photo: Kai Nimura